「院長のつぶやき」を急に始めた理由については、震災派遣の影響もあります。普段よりいろいろと頭に浮かびすぎます。ここに書かれた内容を、院長が指示した、すぐにすべて実行すべき課題と誤解しないでください。目標には短期と長期が必要です。職員のみなさんの想像力を刺激する、あるいは院長という多面体(私というわかりにくい人間)を少しだけ理解していただきたい気持ちや、カリスマ的院長は目指さず、常にタテやヨコの双方的コミュニュケーションを心がける頑固な(?)信条を知る材料にしてください。もちろん対外的・社会的に院長が最終的責任を負わなければいけない場面はあります。(「決してあってはならないことです」というテレビ謝罪会見は他人事でないと感じております。)

また、突然、私がドラッカーの信者になったのでもありません。患者さんに対する臨床場面では、改革はあくまで漸進的であることが重視されます。当センターには昭和60年ごろに自殺者が急増した―社会全体的にも同じー苦い経験があります。高齢化したことにより、我々は二つの人生を生きなければならなくなりました。(女は後半からが面白い、坂東真理子・上野千鶴子著、潮出版社、2011年)

マネジメントでは変化や改革が求められますが、インターネット社会になっても個人がニューロンの一つになる筈がありません。一人ひとりの人生は有限であり、仕事上の困難や自分自身の衰え、家族・友人の死やなどに直面した時には、心理的な「喪の仕事」(mourning work)が必要になります。「メメントモリ」(死を忘れるな)という言葉がありますが、「老いることがまるで悪である」考えはおかしいと前回に書きました。(当センターの霊安室を見たことはありますか?) キリスト教会の葬式には、これまで神と一緒に歩いてきたので二人の足跡が残った。死を迎えて、それが一つになり孤独を感じた。しかしそれは神の足跡だけが残り、人は神に抱き抱えられていたのだ」という有名な説教があるそうです。まだそこまでの境地には至りませんが、周りの職員に、時には患者さんに支えられていると感じることができれば、臨床的な困難に直面した時の大きな転機になり得ます。

また難しくなりすぎましたか?