若いころから居眠りは得意でした。古典の高校教師の目の前で眠って頭を叩かれたり、教授診察の陪席中に眠ってしまい急に振り向いて質問を受けて困ったなどのエピソードがあります。昨日は5回の会議が続き、眠気におそわれて目覚めたかと思うと、過激な発言をして反省しております。

さて、院長はなぜつぶやき出したのかと質問がありあした。その時は、「早朝覚醒のため」と答えましたが、それだけではなさそうです。私も院長になって10年目に突入しました。はじめは「院長らしくない院長」と言われましたが、今ではどうでしょうか?私たちは社会や組織や家庭の中で、いろんな役割を演じているつもりですが、良い意味でも悪い意味でも、しだいに自分の内に影響してしまうことがありそうです。困難にぶつかって「ほんとうの自分を」を見つける工夫が何か必要になる人生の局面があります。

最初は「院長のつぶやき」として書き始めましたが、だんだんと「院長」が抜け落ち始めている気がします。「ゴーヤーの・・」「カナヅチの・・」にはその傾向が見られます。自由さを求めて書いているのでしょうが、「アリの・・」とか「トビムシの・・」まして「ダニの・・」では実用性がなくて誰も読まなくなるでしょう。インターネットで調べると院長の独り言をほかにも書いている先生があり、原発や料理などの得意分野があります。

私の場合は夢の中のように、ふだんの病院では口にしないことを載せてみたいです。もちろん現実的な内容にもどったり、逆にあまりにもプライベートで書けないこともあります。書かないことを読めるかという反論もあるでしょうが、その場合は、行間を読んでください。前出の松沢哲郎先生によれば、チンパンジーには、言葉以前の問題としても、相手のこころを読むのは難しいようです。