このところ冠婚葬祭に出席する回数が多いです。お経の意味がまったく分からず、リズミカルに木魚を叩く音により眠くなって、椅子から転げ落ちそうになりました。ちなみに浄土真宗の葬儀では、「正信偈」(ショウシンゲ)を一緒に唱えさせられるので眠ってはいられません。私がお経の意味がよくわからないのは宗派を問いません。子どもの頃に毎朝、「キミョウムリョウジュニョライ・・・」と唱える声で起こされたので、音の響きは懐かしい。

 広辞苑によれば、儀式とは「公事・神事・仏事または慶弔の礼などに際し、一定の規則に従って行う作法。または行事。」とあります。有名人の中に儀式嫌いの方がいて、谷川俊太郎は結婚式より葬式の方が気楽だと書き、村上春樹は結婚式に出ない、なぜなら自分が出ても2人の幸せが続く保証がないからと述べています。詩人まどみちお―「ぞうさん」などの作品がある―は、挨拶が苦手で「カンパイを三唱します」と言ったそうです。

 ある結婚式で神父が「純白のウェディングドレスは死に衣装である」と述べたのは強烈に覚えていています。また、ある体験グループの中で死に関する話題がいろいろと出た夜の夢に、亡くなった祖母が金襴緞子(きんらんどんす)の布団の中に横たわっていたのに驚きました。それまで、死が祝祭だと気づきませんでした。どうも儀式によって社会化することにより、個人だけでは受けとめられない生老病死を、ヒトは許容しようとしています。

 さて治療的なグループとは一体何でしょうか?ある体験グループで、初めての参加者が、このグループの作法はなんですか、と質問しました。たしかに場所や時間などのルールや目的はありますが、冠婚葬祭ではないので、規則は最小限にして、参加者個人に自由な時間を味わってもらうことが重要な治療的要素です。