北杜夫が亡くなりました。「どくとるマンボウ青春記」からファンになりました。同じころに、なだいなだの「クレージー・ドクターの回想」も読んでいます。アルコール依存症治療の草わけとは知りませんでした。

信州大学教養部には、伝説の松崎先生がまだいらっしゃいました。物理学の試験に間違えた時に、「これだから受験勉強ばかりしている子は困るんだよ」と苦言を呈されました。ほかには、学問というよりは村おこしに熱心な玉井先生も名物でした。 「オチャラカポンーかつて自分の足で歩きだした農民たち―」(平成18年、新曜社)という遺稿集が出ています。その影響で大町市新行の民宿で、夏休みこども村のアルバイトをしました。トマトを丸かじりしただけで、都会の子どもたちに驚かれました。2週間、ろくに寝ずに働いたのを覚えています。

アラカン世代となり、同窓会旅行として、お伊勢参りのお誘いが来ました。特別な信仰心もおかげ横丁の興味もありませんが、このところ生と死について考える機会が多いので気持ちがふらついています。

アルコール依存症者の全体ミーティングの中で、退院間際の患者さんが「この病院に来て、これまでの人生を振り返る良い機会になった」と発言されました。「入院治療している」と同級生の皆に葉書を送り、アルコール依存症であると自己開示した方です。

先日の南米旅行の際には、日常生活から頭が離れるのに1週間かかりました。10年 ぶりの海外旅行だったせいでしょうか。若いころには半年ごとに1週間は病院を離れるように工夫していました。その頃は3日で切り替わりました。

このところ新しい専門書よりも、哲学や宗教の話に目が向きます。ポーランドの詩人シンボルスカの「終わりと始まり」もそのひとつです。

「戦争が終わるたびに

誰かが後片付けをしなければならない

物事がひとりでに

片付いてくれるわけではないのだから

誰かが瓦礫を道端に

押しやらなければならない

死体をいっぱいに積んだ

荷車が通れるように

・・・」

という詩は、今の世界や日本を表わしています。そして、それを知っていた人たち は、最後には知らない人に道を譲らなければならないと批判しています。

青春時代の思い出は甘いだけでなく、痛みや苦みも伴います。新しいことは覚えられ なくても、絶えず振り返ることで新しさを発見できそうです。