1月の末に「広田伊蘇夫先生を偲ぶ会」に出席してきました。木枯らしの吹く寒い夜でした。昨年9月18日に亡くなったのですが、精神医療夏期大学(1980~1983)や第31回病院・地域精神医学会総会の開催を通じて、当センターと深い縁があります。病・地学会の大会テーマは「癒えること、暮らすことへの援助―共に生きる場を求めて―」でした。

先生が学会理事長の時に、報徳会宇都宮病院事件が起きて八面六臂の活動を展開されました。国際世論に訴えて、国際法律家委員会の訪日や国際医療従事者委員会の創設へと進みました。合同調査団による「結論及び勧告」をうけて日本政府は法改正をせざる得なくなりました。その結果、1987年に「精神保健法」が制定されました。

このように説明すると強面の精神科医と受け取られるかもしれませんが、実際に会ってみると気さくな方でした。副院長として都立松沢病院に勤めていた頃、広い構内を夕方歩いていて、ある看護師から「早く病棟へ戻りなさい」と注意されたのは有名なエピソードです。辛辣さもあり「40歳までに論文を発表できないのはダメな奴だ」とバッサリ切りましたが、なぜか爽快な印象でした。金松先生(当時・木曽病院)の開田村の別荘でバーベキューをしたことを懐かしく思い出します。

精神医療夏期大学では、「InstitutionalismからDeinstitutionalismへ」と題して講演されました。まとめとして、「患者さんを見る目が、歪められた情報によって、しばしば歪曲され、それが固定化される危険性」、「病院全体として、なれ合い的、ことなかれ的な雰囲気が精神病院では生じやすい」、そして「病棟全体が静かで、安全で、事故もなくということだけを目的」とすると、「チーム全体として受身性の問題が出現する危険」を指摘されました。そして、病気であるけれども、患者は責任ある存在であるというイデオロギーを強調されました。

偲ぶ会で配られた冊子には、茨木のりこの詩「自分の感受性くらい」が載っていました。故浜田晋先生も愛した詩人です。(デイケアの浜田文庫にあります。)

「・・・

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ」

ひるがえれば、責任の感覚はわれわれ職員の側にも求められます。