作家なだいなだが亡くなりました。なだいなだとは、スペイン語で「無、そして無」 と言う意味ですが、そのとおり無に帰りました。ご冥福をお祈りします。

私がなだいなだを知ったのは、「クレージイ・ドクターの回想」(1966年)を通してです。当時の大学医局や精神病院の様子をユーモラスに描いています。古い病棟の臭いまでが漂ってきます。誰も教えてくれない「ご臨終」の伝え方の勉強になりました。この本の装丁は変わっていて、全体が真っ黒で白ぬきで、タイトルと著者名が入ってシンプルでした。ほかにも短編小説やエッセイを多く書かれていて、しばらく次々と買い求めていました。小説では、「帽子を・・・」、「クワルテット」、「カペー氏はレジスタンスをしたのだ」、「しおれし花飾りのごとく」などです。ユーモアと風刺と瑞々しさに溢れています。

評論「くるい きちがい考」(1978年)にある文章を、長いですが引用します。「自分がクルッテイル場合は、世の中クルッテイルとしか、感じるほかないんだ。世の中が実際にクルッテイル場合もそう感じられるだろうし、世の中がクルッテイなくても、自分がクルエば、世の中がそのように見える。どっちみち、ぼくたちは、世の中がクルッタとしか、見ることが出来ないんだ」「クルッテイナイ時も、当然おれはクルッテイナイと思っている。/(中略)すると、ぼくたちにできるのは、クルウのではないか、と心配することだけなのか。」

自分と外界の間でズレが感じられるとき、ひとは自分がクルッテイル場合も、クルッテイナイ場合も、「世の中」がクルッテイルと感じる。すると、クルイはある実体のある性質ではなく、関係のずれの一様態である。少し難しくなったが、なだいなだの思想には、自らを外から見て相対化する姿勢が貫かれている。すぐに安心しようとしてかえって危険に陥るよりも、不安を持ちながら現実的で安全な解決法を選ぶのである。昭和の良心を代表する一人だった。