団塊の世代が後期高齢者になる2025年が、日本社会の大きな節目だと言われている。認知症患者が増えて介護・福祉ニーズが著しく増加し、社会福祉費用が足りなくなると予想されている。消費税を上げずに、どうやって問題を解決しようというのだろうか?高度成長期のような右肩上がりの経済状態ではないので、借金を増やせば後世にツケを残すばかりである。

県立病院は5年毎の中期計画を立てているが、本当は10年先を見越して考える必要がある。少子高齢化に加えて、さらに過疎化が進むと消滅する地域が出てくる。都市部でさえこれまでベッドタウンだった所も、急速に高齢化し住民が孤立しがちである。病院を取り巻く環境が変われば、患者の年齢層や疾患構成が当然異なってくる。

また、人口減少する中で供給サイド、つまり医療従事者の動向について、薬剤師以外は供給過剰になると言われている。職員採用にあたって、より優秀な人を獲得しなければならないというのである。また、採用後の終身雇用、年功序列はもはや民間企業では望めなくなっている。しかし、ここでも都会と地方の格差が当然あるだろう。地域おこしのための病院が求められていると感じることがある。

堺屋太一は官僚が団塊世代に「人生の規格化」を植え付けたという。いわく「学校を卒業した後に就職しないのは不良と宣伝し、働いたら蓄財するように勧める。結婚するまで出産してはならない。夫婦は部屋数が多い小さい家で子ども2人を育てよ」。その規格化が通用しなくなった今、「欲ない、夢ない、やる気ない」という若者に活力を持ってもらうにはどうすればよいのか?先日、来日した「世界一貧しい」ウルグアイ元大統領のムヒカ氏がマスコミでもてはやされた背景には、生きにくい世の中への不満があると感じた。

長い投獄経験のあるムヒカ氏の言葉で印象に残っているのは、「生きることは変化し続けること」である。ヒトは昨日、今日、明日と同じ行動をとりがちだが、変化を怖れてはならないと強調していた。もう一つの言葉、「老人にできることは政治にかかわることだ」も新鮮に感じた。今後、参政権を18歳からにするが、若者の未来を考える老人力が、下りゆく社会、日本に求められている。